nuruinemuri

タイトルに偽りアリ

生身だけで生きていればそれが全て代わりはない

 寝ぼけ眼でそのニュースを見たとき、ぬるい眠りの中にいるのかと錯覚した。可愛いあの子はきっとまだ夢の中。やけに静かな昼を迎えるところで、頭がひどく冷えていく感覚がした。

ミュージシャンの死で、初めて泣いた。嗚咽が止まらなくなった。会ったことも喋ったこともないのに、最近の新譜なんてリアルタイムで追ってなかったのに、ご都合よくわんわん泣いた。これからも新曲を出し続けてくれる、いつでも聴けると思っていたから。変わらず、また戻ってきて、当たり前のように居てくれると思っていたからだ。動揺して、仕事中の夫にLINEを送りたかったけれど、彼も動揺して仕事中落ち込ませてしまったら、と思い「ねえ」とだけ打った下書きは消した。

タイムラインは予想通り彼の話題で溢れた。「やっぱり癌にはタバコと酒はよくない、ロックンローラーは禁煙してくれ」みたいなツイートをちらほら見かけてはいちいち憤慨した。そんなの結果論、後出しじゃんけんのズルではないか。5億回バズったであろう音楽番組の動画を、ご丁寧に無断転載してまで呟くことだろうか。品のない、ファンかもわからない恥ずかしい人間のツイートにこんなにも怒ってしまうほど、あたしの心の余裕はなくなっていた。他人の生き方を否定する権利など誰にもない。と同時に「わかるよ」とも思った。好きな人には少しでも長く生きてほしいもの。本人からすれば、こんな思いはただのエゴでしかないんだけれど。

ミュージシャンやファンが呟く、彼にまつわるエピソードをたくさん見れて、だんだん心が落ち着いてきた。クスッと笑えるもの、胸がじんわり熱くなるもの、みんながたくさん載せてくれて、故人を偲ぶってこういうことだなとわかった。呆けて今日はもう何も出来ないやと思っていたけれど、あたしはあたしの生活をやらなきゃとはっとして起き上がった。バースデーを聴いた。自分が年を取るとともに、その詞の美しさをしみじみ感じるようになっていた。夫が帰宅して「おっチバか」と呟いて、二人で踊って、彼はご機嫌にエレキギターまで弾き始めた。その時点で彼はまだ、訃報を知らなかったのだ。知らないまま最後に弾いたギターのリフはやけに軽快で、どうしたって美しいのは変わらなくて、涙ながらに「チバ死んじゃったって」と伝えた。

今年はたくさんの人が旅立った。年末に盛大なフェスでもやるんか?天国はそろそろ入場規制したほうがいい。そこで観れるのを、あたしは老後の楽しみにする。まだ行かない。それまで、目の前の命と、これから生まれる命を抱きしめながら。

 

今日の一曲

The Birthday / さよなら最終兵器

 

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バースデーを聴きながら出来上がったエビチリ。