nuruinemuri

タイトルに偽りアリ

どんなに遠まわりしてもゴールが見えていることの幸せについて

残業後の街を歩くときは、決して知人と合わぬよう、最大限に気配を消すことが大事。疲労困憊だと、なぜか首を傾けたまま歩いてしまう幼い頃からの癖。金曜日、気絶した人ひとり背負ってるくらい重い体を引きずりながら、毛玉だらけのコートの襟元をマフラーで隠しながら、ドン・キホーテへ向かった。給料日まで行かないと決めていたが、新しい柔軟剤でも買わないと、溜めきった洗濯物をとても洗えないと思ったからだ。繁華街で条例違反のスカウトが近付いてくるが、あたしのくたびれOL感を嗅ぎ取ると、何事もなかったかのように踵を返す。何気ないことだが、こういうときに自分の加齢を感じられて素直に嬉しい。少しずつしがらみから解放されていくような。歳を重ねることは、絡まったイヤホンコードをほどいていく作業みたいだ。
さっさと柔軟剤コーナーに赴き、今使ってるのよりもちょっといいやつを手に取る。そのままのスピードでレジへ直行すると、ユニバのアトラクション並みの列にぎょっとしたが、ここまで来たからには絶対に買うぞと、すでに並んでいる強者たちにびびってるのを悟られまいと、珍しく強気に最後尾にすべりこむ。行列は苦手だ。そういえば、ユニクロが好きだけど、着くといつだって行列が待っているから、平日にしか絶対行かない。けれども、このときばかりは、行列に並んだ。ちなみに、ユニバは8年行ってない。そんなこんなで買い終えると、さっさと電車に乗ったのに、何故か一駅手前で下車してしまった。もう一度電車を待つ気力もなく、そもそも待つことも苦手なので、とぼとぼと歩いていると、男の子二人が道の隅っこで、アコースティックギターを弾いていた。控えめにポロポロと。たまに目配せしてくすくす笑い合っていたのが、いじらしかった。普段は絶対立ち止まらないが、次もいたらこっそり聴いてみよう。


料理は好きだ。完成に向かっていく時間がたまらない。人生のゴールはわからないけれど、料理はそれが明確だから。本格的なイタリアンやフレンチとかの、料理名や器の並べ方が定まっているものは、学校の調理実習で懲りたので、今後滅多なことがない限り作らないだろう。出汁だって、普段は顆粒を使うし、レンジもスライサーも使う。そうして再び料理が好きになれた。毎日の残業にも慣れてきて、どんなに疲れていても、何か作るようにしている。


「しんどいのはみんな一緒」って言葉は苦手だ。あの子の方ががんばってるとか、そんなの人それぞれ、限界なんて違うもの。あたしはあたしって思えるようになったのもつい最近だけど。毎日ちょっとずつ呪いをときながら生きていく。忘れなくてもいい、心の奥の奥の引き出しにひっそりしまう作業の繰り返し。それが大丈夫になることだと思う。そして、生きることとは、知らずのうちにかかった呪いを解いていくことかもしれない。今は聴けなくなったあの曲も、いつかまたたくさん聴けるようになる。たまに、その引き出しを覗いてみて、ああ懐かしいな、とだけ思えればいい、それだけで。

これを最後まで読んでくれたあなたに、とびきりの詞を紹介しよう。


いい事だけを信じてるうちに

すべてを許せる自分に会える いつか
あんなに愛した人も 愛してくれた人も
振り向けば ただの幻


竹内まりや「夢の続き」より


大学生で鬱々しつつベイパーウェーブにハマってサンクラを漁ってたときに、外国人がつけたでたらめな日本語タイトルの曲があまりによくて、聴き取った歌詞を検索したらこれにたどり着いた。ポジティブで美しいけれど、現実を突きつけてくれる歌詞だと思っている。余談だが、おととい、おそらく初めて夢の続きを見た。貴重な体験をした。そして、とても幸せなころの夢だった。あと、昔から思っているのだけど、眠ってるときの脳の活動と未来での願望のことをどちらも「夢」って言葉を使うのが、不思議だ。夢って言葉を生み出した人、誰なのだろう。字の形も響きもなんか可愛いしな。今の夢(これは未来での願望のことをいう)は、まだここには書けない。しかし口にも文字にも出さないような夢は力なく消えていくらしいので、友達にはこそっと話しちゃおう。

 


そして今日の一曲は最近のお守り

VOLOJZA「I LIKE YOU feat.KID FRESINO」