nuruinemuri

タイトルに偽りアリ

私を解放して

大人になるにつれて、空気に触れた途端、陳腐になる言葉があることを知った。たくさんの人に崇められるあの人は、写真には写らない美しさがある、と言った。粗探しが得意な人々は、自撮りを拡大しては、現実との矛盾を指摘する。「垢抜け」、「アプデ」、「エモい」、雑に人を美化する言葉をポイ捨てして逃げていく。だから結局、無加工ハメ撮りの中のあたしたちが一番綺麗だったのよ!

かわいい人間は、つむじからつま先までが「かわいい」で出来ている。外見だけではない。心臓、胃、肝臓などの内臓、皮膚の下を泳ぐ赤血球でさえも、「かわいい」で成り立っている。吐く二酸化炭素ですらかわいい。もとよりその口が紡ぐのは、かわいい言葉だ。髪を切ったそのかわいい人間が、「みんなには短い方が良いって言われるけど、藍ちゃんがウルフが良いって言うからそれにした」と口にした。悔しかったから「かわいいね!」とは言わなかった。

 

言われたい言葉を言われるように仕向けているのは自分だとしても、言われてしまった瞬間、諦めたような気持ちになるので、しどけない部屋着のまま、大事な大事なぬいぐるみたちのことも考えずに、ベランダを全開にして、なんならもう飛び降りて、最寄駅のつるつるした階段をよろけながら転がり、ぶつかりジジイなんかこっちから吹っ飛ばしてやって、新幹線の片道切符を手にし、買い忘れたビールを車内販売でいただき、「あたしは顔が好きな人間としか性行為が出来ないのに、男性は(デカ主語)なぜ大して可愛くない人とでもセックス出来るのか?」とか考えながら、西明石駅で降りるだろう。わずか20分の列車の旅。そして、実家の犬を抱きしめる。ポップコーンのような肉球を嗅ぐ。彼女の前ではあたしが犬。奴隷へと成り果てる。ひとしきり彼女と戯れたあと、部屋のぬいぐるみたちのことが恋しくなるだろう。そうして、今度は鈍行で大人しく自分の家へと帰る。気がつけば、一人暮らしの時間の方が、あの人と一緒に住んでいた期間よりも長くなっていた。排水溝にネットを被せることも、マスキングテープを貼ることも、コロコロのシートは斜め切りのものがめくりやすいことも、全部教えてもらったことだけど、今ではもう自分の生活を良くするためのものだ。これからずっと、きっと、自分のことしか信用できないと思う。

 

自分の容姿なんて自分が納得いけばなんだっていいんだけど、出かける前に化粧をして、鏡越しに目があったとき「かわいこちゃんがいる」と聞こえた。あたしが猟奇的殺人鬼だとしても、その一言で殺しをやめるくらいには、心が明るくなった。やけどしたみたいに目の奥がちりちりする。かわいい人間が紡ぐかわいい言葉、本当は肌身離さずコートのポケットに入れておきたいのにな。

 

 

今日の一曲

free me / butaji

一人暮らしを始めたての頃、ずっと聴いていた。ビートが気持ち良すぎるのと、歌詞がこの頃の自分にぴったりで、いつ聴いても胸が締め付けられる。ここまでよく突っ走ってきたなと思う。今毎日楽しいけれど、たまに振り返って、一人で泣きたくなる夜は未だにある。

でも、可哀想だったことは一度もないし、これからもないから、大丈夫。

 

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ベランダに咲いてくれた花(花屋で買った花)

お気に入り赤のかんむり(持っていない)

あゆの浮遊少女、大切な曲!